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上手な会話のすすめ方

臨床心理学のカウンセリング分野に、「積極的傾聴」という言葉がある。
読んで字のごとく、積極的に話を聞く、という意味だ。
そういう言葉があるってことは、積極的でない話の聞き方もあるってことを示唆している。

あなたは彼の話を聞くとき、あるいは彼女の話を聞くとき、
積極的に聞いているという自覚はあるだろうか。
そういわれると、怪しい。案外ぼんやりと話を聞いていたことに気づく。
少なくとも、僕はそうだ。積極的傾聴という言葉を時折思い出さないと、
話を聞いているようで、いつのまにか怠慢な聞き方をしてしまうのだ。

人と人を結びつけるのが、コミュニケーションであることは疑いない。
であれば、人との対話こそが、人と人を結びつける基本にして
最大のステップであるといっていいだろう。
ところがこの対話というやつにはかなり個人差がある。
洗練されている人は日々強固な人とのつながりを形成していくし、
だめな人は、三年間付き合った恋人のことすら結局理解しえぬままに、
そのつながりが崩壊してしまったりもするのだ。

あなたが、人とのつながりを大事にしていこうとする人であって、
かつ素敵な恋人をそれでがっちりキャッチしたいと思っているのであれば、
僕は、積極的傾聴という方法を薦めたい。今回は、それについてマジメに話そう。

まず、積極的傾聴というのは、「話して話して」と相手に要求することではない。
そんな簡単なことなら、誰だってできる。
むしろ往々にして、「話して話して」と要求するときほど、話は弾んでいないものだ。

話が弾むときと弾まないとき、そこには何の差があるか。
それは、性格とか話下手とか、そんな差ではない。
話が弾むときには、そこには「共感」がある。弾まないときは、共感がない。
共感があるからこそ、話が弾むといっていい。
いわゆる「話が合う人」というのは、お互いに共感できる素質を持ち合っている人のことだ。
同じ映画を見て、「つ、つ、つまらねえ!」と笑い会える人とは、話が合う。
それは、背後に共感があるからだといえる。

ひいては、積極的傾聴というのは、この共感に至ろうとする積極的な態度に他ならない。
「共感に至ろうとする態度」とはまたごたいそうな言い方だが、これはそうとしか表現できない。

共感、という概念を持つことで、あなたが彼と対話するときの姿勢は、変わってくる。

例えば、彼が、自殺したいと言い出したとしよう。あなたは、どうするだろうか。
もちろん、引き留めようとするだろう。
なんでそんなことを考えるのか、自殺はいけない、そう言うだろう。

だがそれは、共感という方向に向かっていない。
そのときのあなたは、自殺したいなんて心境はまったくわからないのであって、
おのずとあなたの言葉は、一般論に堕してしまう。
いかにあなたがそこに真心を込めたとして、彼がそれを感謝したとしても、
彼に対する救いにはならない。
きっと彼は、やっぱり分かってもらえない、
そして分かってもらえないということばかり感じるから、
自殺したいんだよな、と内心で確信を深めるだろう。

加えて、共感と理解は、また違う。あなたが彼のために、
自殺という現象についていろいろ勉強して、自殺志願者の心境について考察を深めたとしよう。
それはそれで無意味ではないにせよ、再び彼の前に立ったあなたは、
やはりそれだけでは、自殺したいなんて心境はまったくわかっていないのだ。
自殺したいと思っている人について理解しただけで、自分はその心境にはまったく縁遠い。
その点において、理解と共感は、決定的に違う。
そこであなたが、詰め込んだ知識にもとづいて彼を説得しようとしたとして、
それはただの「説得」にしかならず、彼の心には冷ややかに聴こえてしまうのだ。

まあ、自殺なんて例は極端に過ぎるかもしれない。
じゃあ、こうだ。あなたの想う彼が、会社なんて辞めてしまおうと言い出したとする。
あるいは、クラブを辞めるという話でもいい。
そこであなたは、どういう姿勢を持とうとするか。

そこで、「辞めたらもったいないよ、あのうっとうしい先輩だって、
いつまでもいるわけじゃないし、もうちょっと頑張ってみなよ、
辞めてこれからどうするの、どうなるものでもないよ」
とあなたが話を進めたとしたら、それは積極的傾聴の姿勢ではなく、アドバイザーの姿勢だ。
それはそれで悪くないが、とにかくもここで薦めている積極的傾聴ではない。

辞めたらもったいないとか、あの先輩もいずれはいなくなるとか、
そんなことはとっくに彼自身で考えているのだ。
それを考えた上で、辞めてしまいたいと彼は思っている。
さてでは、その心境はどういう心境なのだろうか?
そこにあなたが話の焦点をあわせようとしたときこそ、
あなたは積極的傾聴という姿勢を持つことになる。

あなたの話の進め方は、おのずとこうなってくるだろう。
「もうその辞めたいという気持ちは、非合理的な、『衝動』にまでなってるの?」
「ここが解決すれば思い直す、とか、そういう話じゃないのね?」
あなたがそうして、彼のぐちゃぐちゃになっている心境について、
共感を模索する姿勢を示せたときこそ、彼は時を得たように話し出すだろう。
そのことによって、彼はそのぐちゃぐちゃのり心境を浄化することができる。
そして、そのことをあなたに感謝する。
それとともに、彼とあなたの間には強いきずなが残るだろう。
そのときは不思議なもので、彼があなたを思うだけでなく、
あなたも彼を思うようになるのだ。
それが、人と人がつながること、きずなというものである。

このように、共感という概念を持つことで、
あなたの対話に対する姿勢は大きく変わってくる。
現象の大小に関わらず、まず第一に共感に向かおうとする姿勢、
それが僕の薦める積極的傾聴というものだ。
ここでは、カウンセリングという題目から展開したので、
悩めるクライアントという設定に偏ったが、かならずしもそうとは限らない。
彼がK−1の試合について話すとき、夏休みの予定について話すとき、
そこにも共感に向かおうとする姿勢を持つことができる。

この共感に向かおうとする姿勢について、別の言い方をするならば、
僕たちは概して、対話の中で講釈や説教を垂れすぎなのだ。
だから、彼との共感がえられず、きずなが生まれない。
彼がたとえ「風俗の女100人とやりたい」なんてバカなことを言い出したとしても、
そこですぐに「それはいけません、ばかげてます」なんて言わないことだ。
あなたはPTAではない。
善悪や有意義無意味について講釈を垂れる前に、まず共感に向かおうとするべきなのだ。

もちろん、その共感に向かおうとする中では、心のありようだけでなく、
色んなテクニックも必要になってくる。それも、覚えておくといい。
まず、防御姿勢をとらないこと。
防御姿勢とは、腕や足を組むとか、のけぞるとか、口をもごもご動かすとか、
自分の髪をいじくるとか、そういう行動のことだ。
心理的バリアを張ろうとするとき、人はそういう行動をする。
そして次に、積極的に聞いているという態度を示すことだ。
話の節々でうなずいたり、「なるほど」とか「分かる」とか、
合いの手を入れたりすることだ。そういうテクニックを補助として、
積極的傾聴に向かっていければいい。

ところで、勘のいい人なら気づいていると思うが、
積極的傾聴のキモが共感にあるとすれば、そこにはあなた自身の経験や、
人格の成熟が要素として絡んでくる。
どういうことか、例えていうなら、あなたに失恋の経験がなければ、
失恋して悲しむ彼と共感を持つことが難しくなるってことだ、
また、あなたがそれを乗り越えたことがなければ、
それを乗り越えようとする彼と共感を持つのが難しくなってくるということだ。

あなたも、自分の話をよく分かってくれる人がいたら、
この人はオトナだなあと思うだろう。
ここでいうオトナとは、経験があって、人格が成熟している人、
だからこそ共感してくれる人という意味だ。
そう、共感に至ろうとするにおいては、善意だけでは事は成らぬのだ。
そこでは、経験その他を含めた、あなたの人間としての器が問われてくる。

こんな話がある。僕は大学時代に、ある近所の喫茶店に行っていた。
僕はそこのマスターであるおばちゃんが好きではなかったが、
場所的に便利なため、なんどもしぶしぶ利用することになったのだ。
そのおばちゃんは、お金持ちのマダムで、いつも真珠のアクセサリーをつけていた。
そしていつも、品をつくった声で、人生何事も経験ですよ、
色んな人がいるんですよと、さも包容力があるようなことを言うのである。
僕はそれがうさんくさくてイヤだった。だからいつか、
「こないだインドに行って、マリファナをやったんですけど、いいもんですね。
片足しかない乞食のおじさんと一緒に、ゲラゲラ笑ってましたよ」という話をしてやった。
案の定、その品のいいザーマスおばちゃんは目をむいて、それ以来話しかけてこなくなった。
色んな人がいるんですよ、という彼女の持論は、いささか浅薄だったようだ。

共感というのは、包容力のなせるものであって、善意のなせるものではない。
あなたはきっと、包容力がありますなんて自己紹介するほど、恥ずかしい人じゃないだろう。
であれば、共感ってのはとても難しいことなんだ、という認識でいるほうがまっとうだ。
なんにでも共感しますよ、なんて思っている人がいたとしたら、それは傲慢というやつだろう。

というわけで、いろいろ話してきたけど、これが積極的傾聴ってやつだ。
どうだろう、考えてみれば、そういうきずなを生む対話のスタイルについて、
無頓着も部分があったのじゃなかろうか。
そこに何か少しでも発見があってくれたら嬉しい。
なにしろ、プロのカウンセラーはこの積極的傾聴のために、
かなり専門的な訓練を受けるらしいから、僕たちも自己流に訓練するに如くはないだろう。

あなたはこのマジメな話を応用して、ステキなあの人をゲットしてやろうなんて
けしからぬことを思っているだろうけど、それでいい。
そういうあなたのかわいさとたくましさこそ、僕がそれこそ共感するところだ。
そしてそのために、色んな人と会って、いいことや悪いことを経験していくといい。
殊に悪いことってのは、人に共感する力のベースとしてあなたの財産になっていくから、
ほどほどにやっていくといい。あくまで、ほどほどにだけど。


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