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男心のくすぐり方

僕は脳みそが安直に出来ている。
だから、ごく単純にかわいらしい女の子を見ると、
それだけで男心がくすぐられてしまう。
僕はそのたびに自分が浅はかだなあと思うが、
それはもう僕の意思ではいかんともしがたい。
僕の心が勝手にときめくのだ。

最近の話で思い出すのは、中国に行ったときのことだ。
僕はそのとき商社に勤めていて、仕事で北京に行った。
それが海外の初出張だったのに、誰も付き添いはいなかった。
その任務ははっきりいって密輸まがいのもので、
税関にバレないように、ある電子部品を持ち込むことだった。
もしバレたら、本当に英語を分かってくれるのか
どうかすら怪しい中国税関のおじさんと、交渉しなくてはならない。
本当に、叱られるだけですむのか、
ヘタすれば留置所ぐらいにはいくのじゃないか、
そんなことを考えながら行った、初めての中国だった。

不安はあったものの、僕はしれっとして税関を通り抜けて、
無事に任務を完遂することができた。
その後は、現地の取引先に挨拶をしてまわった。
そこで、ある一人の営業の人に接待をしてもらって、
夕食を共にすることになった。
彼はもちろん中国人だが、かなり上手に日本語を話すことが出来た。
そのかわり、英語はろくすっぽわからない。
彼だけでなく、中国の人は、観光地で商いをする人ですら、
英語が分からない。そこは、やはり共産圏だからだろう。
なぜか北京なのに上海料理を食べに行くことになって、
大きな道路沿いにある(といっても道路は全部デカいが)
電飾のきらびやかな料理屋に、僕たちは入った。

中国はご存知の通り、自由化と経済成長の真っ只中にある国なので、
思想の混乱もあるらしい。その店には、極端に丈の短い
バドガールの格好をしたお姉さんがいて、大声で客と喧嘩していた。
それは明らかに、お客様という扱いの口調ではなかった。
どうやら、コンパニオンという方法だけ取り入れて、
サービス業という精神は取り入れられていないらしかった。

そのコンパニオンはそれなりに美人だったが、
僕たちの予約席に待っていた女性は、
それより二段階ほど上を行く美人だった。
ほとんど化粧をしていないので顔は幼く見えたが、
それがまた素の美しさという印象を与えた。
彼女は、デコレートしなくても人の目を惹くことができるだけの、
白い肌と整った顔を持っていたのだ。

その女性は、僕を接待してくれた営業マンの、彼女だった。
年齢は22歳で、英語の教師をしているとのことだった。
営業マンの彼は、この彼女を自慢したかったのだろうか。
こいつめ、と憎らしく思ったが、とりあえず僕はその美人を見ると、
どうしようもなく心が和んでしまった。
僕にはどうやら、諜報員とか外交官とかの才能がないらしい。
僕はその夜、僕個人を偽らずにいよう、と思ってしまった。

僕と営業マンと美人の三人は、三つの言語を駆使して話した。
とてもややこしい。
僕は日本語と英語、営業マンは日本語と中国語、美人は中国語と英語。
しばしば伝言ゲームによる混乱がおこる。
それでも僕たちは、仲良くなった。
僕は自覚する素質として、好かれる人にはすぐに好かれ、
嫌われる人には極めて短時間に嫌われるという素質があるらしい。
今回は、それが良いほうに出たケースだった。

僕たちは食後、北京の若者たちが集まるストリートに行った。
そこは、クラブハウスが立ち並んで、それぞれがズンドコと音を響かせ、
歩道には露店が立ち並ぶようなエリアだった。
僕たちは、「Boys and Girls」という、
世界に何万軒とありそうな店に入り、アマチュアバンドが
ボン・ジョヴィのコピーのような歌を演奏するのを聴いた。
それは、ロックに中国語の歌詞を無理やり乗せたような
杜撰なものだったが、そこには、伸び盛りの国のエネルギーが
ほとばしっていた。僕はそれに、素直に心を打たれた。

営業マンの彼が電話をしに立った隙に、僕はここぞとばかり、
美人に話し掛けた。彼女は英語の教師だけあって、とても流暢な英語を話す。
はっきりいって、僕のインチキ英語は会話においてかなりの遅れをとっていた。
英語が堪能な人ほど、正確な英語しか理解してくれないものなので、
僕は各単語の子音をごまかさないように丁寧に話した。
残念ながら、この程度の語学力で女性を口説くのは不可能だ。
それでも、会場に唸る音を言い訳に、思い切り顔を近づけ、
彼女と色々と話をした。彼女は、顔をそむけるどころか、
僕の耳に息がかかるくらい近づいて、話をしてくれた。

彼女の話は、その語学力に負けないぐらい、知性に富んでいた。
話は政治や経済に及び、日本の国柄と中国の国柄についても、
その見識を披露して見せた。僕は、自分自身を省みざるをえなかった。
僕が二十二歳のときは、授業をサボって泥酔することが、
生活の大半を占めていたような気がする。

僕はさりげなく話題を低俗なものに転換した。
営業マンの彼と、付き合いだしてどれくらいになるの。
彼女は一年ぐらい、と答えた。僕はそのまま、何気なしに訊いてみた。
彼のことを愛しているのか。

そこで彼女は、突然顔を真っ赤にして、照れくさそうに笑った。
そして、どうしてそんなことを訊くのよっ、と、僕の肩をぺたん叩いた。
それはとてもさわやかな瞬間だったと思う。
僕の中で、無骨ながらエネルギーを撒き散らしている
アマチュアバンドの音と、彼女の表情が、一つの光景として焼きついた。
僕は、もし貴女が彼を愛していないなら、
僕が挑戦してみようかなと思ってさ、と冗談めかしていった。
すると彼女は、僕が今までに見たことがないぐらいに顔を赤くして、
俯いて笑い、僕を肘で何度も小突いた。
僕は巻き込まれるように照れくさくなって、
砂糖の入っていないジンジャーエールのカクテルをがぶ飲みし、
喉をいじめる中国産のタバコをせわしなく吸った。
彼女は頬に手を当てて、営業マンが戻ってくるまでに、
何とか顔の火照りを冷まそうとしていた。

そんなわけで、話がちょっと長くなったが、
僕の中に彼女の存在は強く残ったのだ。
今思い返しても、さわやかな昂揚と共に、
彼女のかわいらしい表情とBGMが蘇ってくる。
それは、別段に恋というものではないのだけれど、
僕のまだ腐っていない心のどこかをときめかせるのだ。

さて、話を元に戻そう。
男心をくすぐるにはどうすればいいか、それが元の話だ。
それについて、その美人の例を考察してみれば、何かが見えてくるはずだ。

なぜ彼女が僕の男心をくすぐり、ときめかせたか。
それは僕が感じるところ、次の要素によるだろう。

・ 生き生きとしていたこと
・ 素直で純粋だったこと
・ 僕を男として意識し、女を見せてくれたこと

生き生きとしていたこと。それを考えれば、その彼女の場合は、
僕の体験した空間ごと、生き生きとしていたかもしれない。
その中に、目を輝かせている彼女がいた。
それは間違いなく、僕の心に印象を残した、重要な要素の一つだ。

説明するまでもなく、生き生きとしている人は、人をときめかせるし、
またときめいている人は、生き生きとするものだろう。
僕たちはしばしばそのことを忘れるから、たまに思い出さなくちゃいけない。
人の心のエネルギーは、感染するものだ。
生き生きしている人からは正のエネルギーを受け取るし、
腐っている人や陰険な人からは、負のエネルギーを受け取る。
だからあなたが、あなたの想う彼の心をときめかせようとするなら、
あなたは生き生きとしていなくちゃいけない。
当たり前のことだけど、僕はしばしば、
こういう当たり前のことをわざわざ言いたくなるのだ。

次に、素直で純粋だったこと。
彼女の例でいえば、顔を真っ赤にして照れたところが、
素直で純粋だったと言えるだろう。
特に彼女の場合は、その知性に素直さと純粋さが伴っただけに、
よりいっそう僕の男心をくすぐったのかもしれない。
僕が推測するに、彼女はかなりのエリートのはずだ。
中国は共産圏だけに、公職につけばそれなりに生活が保障されるし、
それだけにそのハードルは高い。
22歳で女性にしてその職につき立派にこなしているというのは、
誇っていいことだろうと思う。
その彼女が、高飛車なところをまったく見せず、
またウィットを効かせたジョークであしらうこともせず、
顔を真っ赤にしたのだから、それはかわいいと思ってしまうだろう。
そう思わない人は、本当に諜報員にでもなればいいと思う。

ところでこの「素直で純粋」というやつは、
単純に見えてなかなか難しい。頭の中で色々と考え出すと、
どれが素直でどれが純粋だったか、わからなくなってくる。
特に、アタシはもともとひねくれているから、
と自分にラベルを貼り付けている人は、そのひねくれているのが
素直な状態だと言い出したりするから、ますますややこしくなる。
その他、言いたいことを何でも言ってしまう無神経さを素直さと
勘違いしている人もいるし、彼が他の女友達と話をしたことを
恨みつらみ責めたてるのが純粋さのゆえだと思っている人もいる。
ことに目も当てられないのが、阿呆と素直の区別がついていない人だ。
これはもちろん、男女どちらにも言えることだ。
「政治とか興味ないから知らない」「漢字読めないから本読むの嫌い」
「毎日チョコレートだけ食べて生活したい」、
そんなことばかり言う人に対しては、誰だって心が冷えるだろう。
それは素直というよりは、知性や品性の欠如と言うべきものだ。

さしあたって、「素直で純粋」ってことを、
論理的に定義することは無意味に思える。
それよりは、いろんな映画でも見て感得するほうがいいだろう。
その他、ヒントとして挙げておくなら、僕は夜中の三時に
ごめんなさいと言いながら電話をかけてきてくれた人を
かわいいと思ったことがあるし、「うち、割とエッチしたがりやねん」と
服の袖をつかまれたときにドキッとしたことがある。
素直ってのは、そのあたりの率直な気持ちの吐露にあると思う。

そんなわけで、素直さと純粋さは、男心をくすぐるのだ。
自分がひねくれていないか、それを考えて改めていくのは、
きっと有意義なことだと思う。

最後に、僕を男として意識し、女を見せてくれたこと。
これは、男心をくすぐるというテーマにおいて、
一番わかりやすく、一番効果的なものかもしれない。

先の例で言えば、顔を真っ赤にして俯いた彼女は、
僕を男として見てくれて、また女を見せてくれたと言えるだろう。
彼女は決して僕のことを好きなわけではないはずだが、
そこには間違いなく、男女らしいドキドキする空気があった。
それは、お互いに、男心と女心を見せあったからだろう。
僕は女心をくすぐることに自信はまったくないが、
とにかく彼女が見せてくれた女心に、僕の男心がくすぐられたのは間違いない。

ここで付け加えるならば、彼女がそうして女を見せてくれた背後には、
彼女自身に自分は女であるという自覚があり、
それが個性と矛盾していないということがあっただろう。

僕の知る限りでも、自分は女であるという自覚がないかのような女性が結構いる。
そういう女性は、外見を褒められると顔をしかめたりするし、
デートの間中、自分が仕事でいかに疲れているかを力説したりする。
そして面白いことに、そういう人にかぎって、女らしさとはやはり、
つつましやかで物腰やわらかくあることだ、と思っていたりするものだ。

そういう人は当然、「女とはこうあるべきもの」「自分は女」
「だから自分はこうあるべき」という論理が、
自分の中で矛盾することになる。だから、自分が女であることに混乱し、
男性の前でどのように女性であるべきか、わからなくなる。
そしておのずと、男女らしい空気は生まれなくなるのだ。
はっきりいって、そこが矛盾していると、女を見せるどうこう以前の問題だ。
女性はどうしても女である以上、自分の個性と、
自分の女性観をすり合わせていかなくちゃならない。

というわけで、相手を異性として意識して女を見せることは、
間違いなく男心をくすぐる。
ただし、その前に自分のことを含めた女性観について、
混乱していないか再確認するべきだと、僕は思う。

さて、例をあげて、三つの要素について薀蓄をたれてみた。
どうだろうか、何か参考になれば嬉しい。
生き生きとして、素直で純粋で、女を見せること、
それは簡単なことではないと思う。
しかし、それ以外に、男心をくすぐる方法なんかないだろう。
それは、男女ひっくり返してみても、同じではないだろうか。
どこか気持ちが濁っていて、ひねくれて根暗な心をもち、
男らしくない人に、女心をくすぐられる人なんていない。

結局、人の心に訴えるということがそもそも難しいことで、
僕たちはそのために、自分を磨くしかないのだろう。
僕は自分で言ったからには、一応がんばってみようと思う。
あなたも、そう思ってくれますように。


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