隣の家の火事〜4歳の頃〜

私がもうすぐ4歳になろうとしている頃母は弟がお腹にいて何度も入退院を繰り返していた。3歳だった私は何もできないので祖父の家に預けられることになった。

その頃私はS市に住んでいて祖父の家はそこから1時間くらいの場所にあったので割と近いのだけど、当時の私にとっては「一人で帰れる範囲」が徒歩3分圏内くらい」だったので遠い距離だった。なにより母も父もいない家で生活するのは初めてだったので、最初の何日間かはかなり泣いたようだ。(憶えてないけど聞いた話)

そんなこんなで何ヶ月か祖父たちと生活してその生活が当たり前になると、時々家に連れて行ってくれるようになった。それは私が父や母と会っても泣かなくなったからだという。

私は祖父の家で4歳の誕生日を迎えた。祖父は居酒屋をやっていたので(今はラーメン屋)いつも夜になると祖父たちと一緒に居酒屋に行っていた。お客さんがいっぱいくるそのお店は私にとっていい遊び場だった。もう「家に帰りたい」というのも思わなくなってきていた。

そんなある週末祖母に連れられて私は家に遊びにいくことになった。その日は母はまた入院していたが、父は休みで家にいた。久々に父に遊んでもらっていると祖母は「こういう休みの日のうちに灯油を入れておきなさい」と言ったという。(冬だったから)そして父は灯油を入れるために外に出た。

少したってからすごい勢いで父が家に入ってきた。「隣の家が火事だ!!」父は叫んでいた。その後はわたわたしていて誰も詳細を憶えていないけど、私の記憶の中にあることを書くと、まず祖母は窓を空けて「火事だぁ〜」と何度も叫んでいた。後から聞いた話によると近所の人にいち早く知らせるためだったらしい。父は電話をしていた。当時はなんの電話かはわからなかったけど、もちろん119番にかけていたのだろう。そして私は外に出された。父の車に乗せられて当時大事にしていた「ピンキーちゃん」という洗剤の懸賞で当たったでかいクマのぬいぐるみと共に安全な場所へ非難させられた。そして父は「お父さんがここにきて出てもいいよっていうまで誰がきても絶対にドアをあけちゃダメだ。」と言った。

その後の光景は先にも後にも見たことのないものだった。うちは2階建てのアパートだったんだけど、2階に住んでいるオバチャンがやかんで隣の家に水をかけていて、近所の人たちはバケツリレーをしていた。しばらくすると消防車が3台くらいと救急車もきていた。上の家のオバチャンがやかんや布団を隣の家に投げ込んでいたのがとても印象的だった。たぶん混乱してしまっていたのだろう。

うちと隣の家は50cmしか離れていないにもかかわらずうちは焼けずに済んだ。そして私は、というとまだ車の中で事の顛末を眺めていた。祖母が私のことを迎えにきたけど、私は絶対にドアをあけなかった。それは父が「誰がきてもお父さんがくるまではあけるな」という教えを守っていたからだ。でも父は第一発見者で事情聴取を受けていたのでこられるわけもなく、私はそれから1時間あまり一人で車に乗っていたという・・・。

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