親不幸娘 その1 〜5歳の頃〜

5歳になる頃弟が生まれた。私は弟が無事に生まれてもう母が入院することもなくなったので、家に帰ることになった。しかし、それは私にとって喜ばしいことではなかった。

まず第一に祖父の家での暮らしに慣れ親しんでしまったこと。第二に祖父の家がかなり楽しかったこと。そして第三の理由は当時は誰にもわからなかったらしいが、自分の家がとても怖かったからだ。

2つ前のお話1つ前のお話で話している通り、私が祖父の家に行っている間に(正確には一時帰宅していたときに)あまりにも自宅ではいろんなことがありすぎた。幼い私の中での自分の家のイメージ=火事やお葬式、となってしまっていて自分の家にいるとまた何かがあるのでは?ととても不安だったのだ。

まずは祖母と一緒に自宅へと戻った。その時点での私はそんなに不安には思っていなかった。当然また祖父の家へ帰る、と思ったからだ。私の中では自分の家は祖父の家だと思っていた。もちろん、父や母のことを忘れたわけではないが、上の3つのような理由からここを自分の家だと思いたくない、という思いがあったせいもあるだろう。

ところが一週間くらいたったある日祖母が帰ると言い出した。私も当然帰り支度を始めた。すると母が「かりんはもうずっとお母さんたちと一緒に暮らすんだよ」といったので私はびっくりした。この不安な家でこれからずっと過ごさなければいけないのか、と思うととても不安になった。私は理由も言わずに「おばあちゃんと帰る〜」とわんわん泣いた。

今大人になってからこの時の父や母のことを考えると胸が痛む。もし私が自分の子供に「ここにはいたくない」とか「ここは自分の家じゃない」なんて泣かれたらどんな気持ちだろう。と思うと自分のしたことだけど、その時の自分に「バカっ!」と叱りたくなる。

私があまりにも嫌がるので父と母はいろいろと考えたようだ。まず、祖母にはもう少しいてもらうことにしてその間に私が前から欲しがっていた「ドラえもんの起きあがりこぼし」を買ってきた。(ゴム製の大きな風船のようなもので倒してもまた起きあがってくるというおもちゃ)そして、物で釣ってみた。「かりんがこのお家にいるならこんなおもちゃがあるんだよ」と。

でも私はそんなものに釣られなかった。まずはそのおもちゃを与えてもらい、それをふくらませずにリュックに入れてそのリュックを背負い、「おばあちゃん、お土産ももらったし帰ろう」といったのだ。なんとずる賢い子供だ。と今なら思う。私が親なら悲しいだろう。

後で祖母に聞いた話では、この時の父と母の顔はとても悲しそうで忘れられない、という。

結局祖母は強引に帰ってしまい、私は祖母の後ろ姿を見ながらわんわん泣いた。何日かたつとそれなりに慣れたけど、今でも私はS市にあるその自宅へ行くのが怖い。1年に何度かその自宅に泊まったりすることがあるのだけど、夜中にふと目が冷めたりすると隣の家が火事になっていないか窓を開けて確認してしまったりする。

小さい頃の記憶とは恐ろしい・・・。

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